虚空蔵55様、みわ様
大変お忙しいところNo.3896の質問に対してお返事を頂き、誠にありがとうございました。
「これも当たり前のことで、人は誰しも生きている限り様々な欲望に振り回され、人間関係の摩擦で消耗していきます。
それは完全覚醒するまで続きますから、それまでは何とか工夫して生き長らえるしかありません。」
とのお言葉を頂き、中々厳しい言明であると感じてしまいましたが、しかしながら、そのような状況におきましても、月読之大神様、五井先生、虚空蔵55様、みわ様、そして多くの神霊の皆様にお導き頂けるという、空前絶後の幸運に唯々感謝致します。
宇宙全史のワークを通じて不甲斐ないながらも学び続けさせて頂くことで、私自身が心底幸せであると感じられるところまで、最短ルートでお導き頂けるというのは間違いない事実でありますので、私としましては、日々祈り続け、目の前の状況に向き合っていくだけでございます。
月読之大神様、五井先生、虚空蔵55様、みわ様、宇宙全史のワークに携わっておられる神霊の皆様、どうぞよろしくお願い致します。
No.3896において、
「フラクタル次元の一種であるハウスドルフ次元というもので考えると、例えば2次元の平面(あるいは3次元の空間)に描かれた図形の次元は必ず2(あるいは3)以下になるという定理があります」
と私が書き込ませて頂いた内容に対して、
「これはある意味当たり前の理屈のような気がしますが…違うのでしょうか?」
とのお返事を頂きました。今は記憶がはっきりしないのですが、私が上記のように書き込ませて頂いたのは、質疑応答14、p.309の
6行目〜11行目を読ませて頂いたことがキッカケであったことは確かでございます。この部分で、虚空蔵55様からtoto様へ
「平面状のフラクタル図形(2.5次元や2.13次元等の次元が2より大きくなるなる図形)は一体どうやったら描けるのでしょうか」
とのご質問がなされており、この部分の質問の意図を私が正しく把握しきれていないような感じがありました。
この質問を読ませて頂た後に少し考え、結局No.3896で私が引用させて頂いたハウスドルフ次元に関する定理(そもそもフラクタル次元が生まれた経緯から考えるとごく当たり前の定理)から、
「次元が2より大きな図形は3次元空間内に描くしかない」
との結論に至りました。またこの定理から、3.28次元の世界というのは4次元空間内に描くことしかできないので、(4次元空間というものを考える時点で)これまでの世界観の域を出ないのではと感じ、思考が堂々巡りを始めて、苦し紛れにNo.3896にあるような当たり前の内容を書いてしまったのだと思います。大変失礼致しました。
しかしながら、質疑応答14、p.330にありますように、
「次元」=認識の段階・視野の領域(あるいはレベル)
であり、「次元が空間を規定する数値ではない」とのことですので、私が悩んでいたようなことはあまり意味がないことであったのかもしれません。
それよりは、No.3896にて虚空蔵55様に仰って頂いたように、小菅正三氏の次元と認識を読ませて頂き、理解を深めていく方が賢明であると思いました。
袋小路に入っていきそうなポイントで、適切なお言葉を頂き、誠にありがとうございました。
今回は次元の解明をするという大きな目標があったため、これまで以上に集中して次元と認識を読ませて頂きましたが、小菅正三氏が伝えたかったことを正確に理解できたかと問われると、大いに自信が揺らいでしまいます。
次元と認識では、まず、人間は3次元空間の中にいるのではないと書かれています。そして、我々は第4次元にいて(次元と認識の中では、これを単に「我」と呼んでいます)、3次元の「はたらき」を波動として受け取る。
ここで、小菅正三氏は、第4次元の「我」というのは、これより高い次元の「心」と、低い次元の「物」との境界に生じる錯覚で、「我」という実体があるわけではないと仰っております(次元と認識p.79)が、この「我」というのが、3.28次元にいる私と考えてもよろしいのでしょうか?
ただし、次元と認識の中では、心というものを知覚と意識に大別し、意識はさらに、「認識」、「意志・判断」、「情動」等に分かれると書かれてあります(次元と認識p.86)が、次元と認識で扱われている心とは、意識の方であると私は理解しています。
小菅正三氏は、さらに、心というものは第4次元の心、第5次元のこころ、第6次元の「こころ」とあり、第4次元の心が認識に、第5次元のこころが意志・判断に、第6次元の「こころ」が情動に係るものと仰っております(次元と認識p.144,145)。
宇宙全史の質疑応答では、感情や情について解明されております。特に、質疑応答12、p.272にて、
感情は思考の一種で、特にその「思い」が脳の中だけではなく、少し上位の魂魄体機構に被る感じの「思い」を含みます。
とあり、同じページに、
感情に執着するとその思いが「情」になる
とあります。さらには、質疑応答5、p.207にて、
「情」は、感情がもっと(魂に近い)上位の器官にまで通じると、「情」として機能してきます。
とあり、再び戻りますが、質疑応答12、p.272にて、
「情」が深く沈潜すると「情念」という状態になり、より深く痕跡を引きずるものになります。
とあります。以上の記述から、「感情」→「情」→「情念」と進むにしたがって、重いエネルギーとなり、より上位の器官により発露される「思い」に変換されていくと捉えたのですがよろしいでしょうか?
もし、今引用させて頂きました「感情」、「情」、「情念」等と、次元と認識に書かれてあるところの「情動」が関係あるものであった場合(次元と認識では、第5次元のこころが意志・判断に、第6次元の「こころ」が情動に係るとありますので)、「意志・判断」という認識作用は、「感情」、「情」、「情念」等よりも下位の器官で処理されるものと理解してもよろしいでしょうか(意志という用語は、宇宙全史と次元と認識とでは、意味合いが異なるような気もしています)?
また、次元と認識p.144にて、
心は一つのものとして「我」に受け取られるが、その内容は各次元のこころの複合である。
と書かれてあります。こちらから察するに、各次元を表す特有の指標(速度や温度、質量、パリティ、スピン、電荷、のような物理量に類するもの)があり、それらの指標によって表現される波動の合成によって各個人の波動が決定され、その波動によって各人の次元が決まってくる(各指標で表現される波動がどれぐらいの割合ずつ合成されるのかで、各人の波動すなわち次元が変わってくる)というように考えました。
そして、人類(またはもっと広範囲の生命?)の次元の平均値として3.28次元という値が導出されるというように考えました。
今のところ、パリティやスピンのような物理量に類するもので、感情や情等を表現できるものか、あるいはそのような物理量が今後発見されてくるものなのか、そういったことも私には全く見当がついておりません。
以上の思考結果が果たして的を得ているのか、あるいは大ハズレなのか、私自身では(当たり前ですが)全く判断が出来ないところが悲しいところです。
大変読みにくい、粗の多い思考・文章であると思いますが、お時間がありましたら、何かヒントを頂けますと、大変有難く思います。
どうぞよろしくお願い致します。
時間と申しますと、次元と認識では時間についても多くの智慧が詰まっていると思われますが、私ではその全容は全く汲み取れませんでした。
次元と認識p.58や、p.59の第七図において、変化の記憶=時間と
見通されておられますが、次元を空間的な尺度ではなく、認識の段階と理解した場合、果たしてこのような等号が成り立つものなのか、まだまだ私の中で考察する必要があると痛感しております。
以上が次元と認識を読ませて頂き、浮かんできた疑問等になりますが、No.3896の投稿をさせて頂いた後に、toto様と数回議論をさせて頂く機会があり、虚数次元について啓発された部分がありましたので、そちらも報告させて頂きたいと思っております。大変なご迷惑をお掛けしてしまう可能性が大きいと感じておりますが、何卒今しばらくお願い致します。
前回のNo.3896にて考えたことは、以下の通りでした。
まず、複素数平面を縦に32枚並べておきます。そして、上半分の16枚の複素数平面内には、反時計回りに上昇していく半径1の円状の螺旋を描き、下半分の16枚の複素数平面内には、(最終的な見た目は上記の螺旋と同じものになりますが)時計回りに下降していく半径1の円状の螺旋を描きます。
このとき、反時計回りに上昇していく螺旋は、オイラーの公式
exp(ix)=cos(x)+isin(x) … (1)
において、xが0≦x≦32π(≒100.48)という範囲に渡って動いた軌跡を表わしており(ただし、xが2π増えるごとに一枚上の複素数平面に移動していきます)、時計回りに下降していく螺旋は、オイラーの公式(1)において、xが-32π≦x≦0という範囲に渡って動いた軌跡を表わしています(ただし、xが2π減るごとに一枚下の複素数平面に移動していきます)。
つまり、オイラーの公式のxにあたる部分が次元に相当するという認識ですが、この考えでいきますと、虚数次元とは、単純にオイラーの公式(1)式で、xを虚数x+iyとすれば良いのではないかと考えました。このとき、オイラーの公式(1)式は
exp(i(x+iy))=cos(x+iy)+isin(x+iy) … (2)
となります(ただし、-32π≦x≦32πとします)。
このように、オイラーの公式のxを、-32π≦x≦32πを満たす実数と限定せずに、複素数x+iy (ただし、-32π≦x≦32πとする)まで拡張すると、始めは螺旋状の軌跡の部分のみに対応していた実数次元の世界が、32枚の複素数平面全体にまで広がります。そして、この32枚の複素数平面全体が、虚数次元まで含めた宇宙(オーム宇宙全体?)を表わしているという形になっていると考えられます(No.3896にて、「陰胎の中にマイナス次元も含まれますが、虚数次元なども同じく含まれています」そして、「陰胎≒オーム宇宙」とのお言葉を頂きましたが、陰胎全体は、虚数次元によって表される世界全体と一致していると考えてよろしいのでしょうか?)
また、この「32枚の複素数平面全体」というのを、No.3896で少し触れさせて頂いた閉リーマン面という対象物だと理解すると、これは経線が32本引かれた地球儀の表面のようなものと考えられます(あるいは、32個の房をもつみかんの皮をむいたような見え方をしています)。
この「経線が32本引かれた地球儀の表面のようなもの」は、数学的には、リーマン球面と呼ばれる対象物に32本の経線が引かれたものになっており、始めの螺旋状の軌跡は、丁度赤道上をぐるっと回る円を表わしております。
ここで、虚数次元まで拡張したx+iy次元の世界というのは、(2)式により、上のリーマン球面上のexp(i(x+iy))という点と対応していますが、(2)式でyを+∞に発散させていきますと、exp(i(x+iy))と表される点は、地球儀(リーマン球面)の南極に近づいていき、yを-∞に発散させていきますと、地球儀(リーマン球面)の北極に近づいていきますので、上のリーマン球面で、南極と北極にあたる部分には穴が開いてるような気がします。
また、0次元と+100次元(-100次元)に対応する点(+100次元と-100次元に対応するリーマン球面上の点は同じ点になっています)は、赤道を表す円の直径の両端点に対応していまして、もし0次元や+100(-100)次元に到達した際に、オーム宇宙から抜け出る可能性があるとするならば、この直径の両端点に当たる部分にも穴があいているのではないかと推測しております。
したがいまして、0次元、+100次元(-100次元)、i∞次元(このような次元はないと思いますが、象徴的に表しております)、-i∞次元という4つの次元に対応する世界からオーム宇宙を抜け出ることが出来ると考えておりますが、これは完全なる見当違いでございましょうか?
(実は、リーマン球面に穴が3つ以上あいた図形は、数学的には非常に豊かな構造を備えております。そのため、穴が4つあいているというのは、私の願望も入っているような気がしております...)
大変長い報告となってしまいましたが、ここまで考えてきまして、あらためて質疑応答14のp.343の追補を読ませて頂きますと、そこには、「(光速やプランク定数のような)宇宙における基本定数のようなものは、オーム宇宙を規定する数値としてある」、そして、「私たちの境涯が変化すれば、宇宙構造定数もまた変化する」とあります。これは、私たちの次元が上昇していくと、オーム宇宙ではない別の宇宙へ移動してしまう(移動してしまうこともある)ということでございましょうか?
以上が前回No.3896にて長々と投稿させて頂いた後に、totoさんと数回お話させて頂いたことによって啓発された内容になります。
こちらも大変読みにくく、内容をイメージしにくい投稿になってしまったのではないかと危惧しておりますが、何か助言を賜ることが出来ますよう、何卒よろしくお願い致します。
この度もまた、長文による報告となってしまい、大変失礼致しました。虚空蔵55様、みわ様、いつも深いご慈悲によるご指導を賜り、誠にありがとうございます。
そして、月読之大神様、五井先生、宇宙全史のワークに携わっておられる神霊の皆様、様々な不備がございますが、日々生かして頂き、またさらにご指導をして頂き、誠にありがとうございます。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。
お祈りを忘れずに精進していきます。
この度も誠にありがとうございました。
2019・11・28
スーザン様
質問をまとめてみました。
「当たり前を二つ」
これも当たり前のことで、人は誰しも生きている限り様々な欲望に振り回され、人間関係の摩擦で消耗していきます
一つ目の「当たり前のことで」…このフレーズには実に深遠な意味合いが隠されているのですが、ここでは「宇宙の謎の解明」の数学的な方面での取り組みになりますから、そちらはまた別の部分で解明していきます。
そして「隠されている」としたのは、隠さざるを得ない事情が皆さん方にあるという事も覚えておいて下さい。
「低次元において高次元を表現する方法」
「これはある意味当たり前の理屈のような気がしますが…違うのでしょうか?」
とのお返事を頂きました。今は記憶がはっきりしないのですが、私が上記のように書き込ませて頂いたのは、質疑応答14、p.309の
6行目〜11行目を読ませて頂いたことがキッカケであったことは確かでございます。この部分で、虚空蔵55様からtoto様へ
「平面状のフラクタル図形(2.5次元や2.13次元等の次元が2より大きくなるなる図形)は一体どうやったら描けるのでしょうか」
とのご質問がなされており、この部分の質問の意図を私が正しく把握しきれていないような感じがありました。
二つ目の「当たり前」です。
totoさんへの質問の意味は「どうやったら描けるか」という質問のはずです。
それは2次元上の平面に如何にすれば2次元以上の図を描けるかという質問でした。
もちろん実際に描くことは不可能ですが、絵画や漫画ではキャンパス上(2次元)にビルや自動車などの立体物(3次元)を仮想状態で、それらしく描くことが出来ます。
それはあくまでも「仮想」であって、実際の3次元物体ではないのですが、私たちの脳内で視覚調整をし、平面画像を立体物画像に変換しているからそう見えるのですが、あくまでも本物ではなく「仮想」のビルや車になります。
ですから私たちがそのビルの中に入ったり、車を運転するわけにはいかないのです。
私の問いかけは、この「仮想」という部分も踏まえて、「仮想」でよいので紙の上に(2次元平面に)2・13次元の構造物をどうすれば描けるかという質問だったのです。
もう少し詳細にいいますと「2次元平面状(紙の上)に3次元の立体物は「仮想」で描けるのですから、それでは2・13次元はどのように描けばいいのでしょうか」という質問でした。
それはある意味「2・13次元という普遍的な次元数(整数次元ではないという意味ですが)は、どう表現したらいい?」という質問でもありました。
そしてそれは「普遍的な次元(少数点次元)の本当の意味は何?」という問いでもあったのです。
小数点次元の本当の意味を知らなければ、2次元平面上に画像を描くことは出来ませんから、あの質問は「小数点次元の意味を教えて」という一寸わかり難いものだったのです。
しかし(ここからが私の数学苦手部分です)フラクタルのおけるハウスドルフ次元の考え方でいいますと、明確に非整数次元を表現しています。
つまり既にそこに答えはあったのです。
小数点を含む次元という考え方をフラクタルの初期段階のハウスドルフの次元概念が教えてくれていたのです。
でも私はそれでは全然満足できていないのです。
つまりに次元平面状にハウスドルフ次元のあのギザギザの縁を持つ画像を描いて「これが2・25次元だよ」といわれても納得できないのです。
何故なら明らかにそれは2次元平面上に描かれた単なる2次元の複雑な画像に過ぎないからです。
おそらくハウスドルフの画像は、私たちが仮想で描く2次元平面状の立体物「3次元」のような意味で「2・25次元」としているのだろうと思います。
そうなのでしょうが、それではそこにあるハウスドルフの画像はどのようにして小数点次元を現しているのでしょうか?
先ほども書きましたが、二次元平面である紙に描かれた立体物はあくまでも二次元平面画像に過ぎませんが、私たちの頭の中で立体物に変換されて立体に見えます(もっとリアルなのは今流行りの「VR(バーチャル・リアリティ)」ですが、今は複雑になりますので触れません)。
もう少しかみ砕いて書きますと、
「あの一見複雑なハウスドルフの画像は、現実的には2次元構造ですが、おそらく(私たちが平面に立体物を仮想で描くように)2次元以上の構造体を(仮想で)描いているのだと思います」
という事なのです。
しかし私たちは車やビルディングのように見慣れたものを平面上に描いているのではなく、ハウスドルフの画像では、見たこともない2・25次元の構造物が平面に描かれたものをそこに見ているのです。
そこで…ここからが問題なのですが、あるいはあのフラクタル画像(ハウスドルフ画像)は、そのままで2次元平面状に2次元以上の画像を描いている…のかという事もあるかも知れません。
その辺りをスーザンさんに解明して頂きたいのです。
既にこの辺りで私の頭はパンク寸前になっています。
またスーザンさんに「当たり前のような」と申し上げたのは、
「ひとつの事象を認識するには、必ずその事象の上位次元から見るしかない」
という原則があったからです(この事情は宇宙全史のどこかで書いておいたと思いますが)。
その原則を「当たり前」としていました。
そしてその原則は小菅氏からの伝授によるものでした。
またスーザンさんは、
「次元が2より大きな図形は3次元空間内に描くしかない」
と書いて来ておられますが、ここも曖昧さがあり、「3次元空間内に描くしかない」を生かすならば、
「次元が3次元以下の図形はその次元以上の次元でしか描くことは出来ない」
といい直した方が正確かも知れません。
もっと汎用的にいい直しますと、
「ある次元を表現する(認識する)には、その次元以上の次元において表現する(認識する)しかない」といえます。
また3次元空間内という単語も、空間自体が明確に解明されていませんので、そこには曖昧さが残っていますので、慎重になさった方がいいかも知れません。
「客観的な時空は存在するか」
しかしながら、質疑応答14、p.330にありますように、
「次元」=認識の段階・視野の領域(あるいはレベル)
であり、「次元が空間を規定する数値ではない」とのことですので、私が悩んでいたようなことはあまり意味がないことであったのかもしれません。
確かに次元が空間を規定するという感覚はなく…つまり次元と空間が各々別々の独立した世界の構成要素としてあるのではないのですが、認識が世界を構成しますので、自ずと時間も空間もそれに巻き込まれます。
「巻き込まれる」といういい方は、「時間、空間は認識により生み出される」といってもよいと思います。
そうしますと客観的な時空は存在しないのかという疑問も出ますが、そもそも既に「客観的」という言い回し自体が意味をなさない状況になっていますから、「時空」の解明自体「認識」と対になっている、或いは「認識」に従属していると考えるべきなのかもしれません。
この辺りは「時間」の本の中で解明されていくでしょう。
「小菅理論のバグ」
ここで、小菅正三氏は、第4次元の「我」というのは、これより高い次元の「心」と、低い次元の「物」との境界に生じる錯覚で、「我」という実体があるわけではないと仰っております(次元と認識p.79)が、この「我」というのが、3.28次元にいる私と考えてもよろしいのでしょうか
小菅氏の理論は大まかな形では非常に参考になるのですが、やはりそこにはまだまだ解明されていない世界構造が残されています。
確かに「我」という存在は錯覚に過ぎません。
そしてそれこそがエゴなのですが、
「小菅理論のバグ2」
小菅正三氏は、さらに、心というものは第4次元の心、第5次元のこころ、第6次元の「こころ」とあり、第4次元の心が認識に、第5次元のこころが意志・判断に、第6次元の「こころ」が情動に係るものと仰っております(次元と認識p.144,145)
この辺りの文章は明らかに間違っています。
今ここでは解明しませんが、すでにどこかで大まかな説明はしていたと思います。
現在私は「エゴ」の本か「時間」の本を出そうか迷っています。
もし「時間」の方が先になるなら、そこで詳細が語られるかも知れません。
「小菅理論のバグ3」
以上の記述から、「感情」→「情」→「情念」と進むにしたがって、重いエネルギーとなり、より上位の器官により発露される「思い」に変換されていくと捉えたのですがよろしいでしょうか?
上記の理由により、その道筋は間違っています。
「感情」→「情」→「情念」と進むにしたがって確かに重いエネルギーに変換されますが、その理由は単純に私たちがそこにエネルギーを注ぎ込む(執着する)からに過ぎません。
「時間と記憶」
次元と認識p.58や、p.59の第七図において、変化の記憶=時間と
見通されておられますが、次元を空間的な尺度ではなく、認識の段階と理解した場合、果たしてこのような等号が成り立つものなのか、まだまだ私の中で考察する必要があると痛感しております
確かに「変化の記憶=時間」も一つの時間の要素ではありますが、それは時間のエントロピーの方向性を決定づける要素の一つだと考えています。
(時間に関してはまだ本に取り掛かっていませんので、少し曖昧さが残ります)
「螺子輪宝宇宙(ねじりんぼううちゅう)」
そこには、「(光速やプランク定数のような)宇宙における基本定数のようなものは、オーム宇宙を規定する数値としてある」、そして、「私たちの境涯が変化すれば、宇宙構造定数もまた変化する」とあります。これは、私たちの次元が上昇していくと、オーム宇宙ではない別の宇宙へ移動してしまう(移動してしまうこともある)ということでございましょうか
幾つかハッキリさせておかないといけないことがあります。
一つは私たちの宇宙(オーム宇宙)は、ほぼ無数ある同じような宇宙の集合体「螺子輪宝(ねじりんぼう)宇宙」の一粒に過ぎません。
この螺子輪宝宇宙は人類が想像すら出来ないような巨大さで、その一粒一粒の宇宙が明滅しながら(盛衰を繰り返しながら)全体がねじれて回転しています。
その回転音は荘厳で畏怖すら覚えるほどのものですが、おそらく人類にはそれを聞くことも想像することも叶わないでしょう。
もう一つはそこにある無数の宇宙の多くは、様々な段階にある宇宙であり、次元を超えて集合しているものです(或いは次元を超えて見えるもの)。
ですから例えば巨大なブドウの房のようなものを想像して頂いても結構ですが、実際はそういう平面的なイメージではなく、本当の姿を見ようとするならば、次元を超えてみる目が必要になっています。
最も螺子輪宝宇宙を見ることが出来るようになった人間は、そもそも次元は超越した存在になっているはずです。
さてそこで問題です。
宇宙の基本定数は、オーム宇宙の近辺の宇宙ではほぼ同じですが、離れていきますと随分異なる宇宙も出てきます。
この場合「近接する」「離れている」というのは比喩的な意味であり、もちろん次元も含みます。
そこには私たちの認識次元がどんなに変化しても対応できる宇宙が存在するという事なのです。
ただ例外がありまして、その人物が桁外れに進化して対応できる宇宙がない場合は、この螺子輪宝宇宙にはいられなくなります。
つまり「離脱」せざるを得ないのです。
そこからどこに行くのかといいますと、その行く先は一つしかなく「真我(実存)」になります。
「究極の存在」
0次元と+100次元(-100次元)に対応する点(+100次元と-100次元に対応するリーマン球面上の点は同じ点になっています)は、赤道を表す円の直径の両端点に対応していまして、もし0次元や+100(-100)次元に到達した際に、オーム宇宙から抜け出る可能性があるとするならば、この直径の両端点に当たる部分にも穴があいているのではないかと推測しております
スーザンさんの書いている意図が明確に分かったわけではないのですが、仰っているイメージが実際の螺子輪宝宇宙の構造と似通っているような気がします。
つまり「構造体のてっぺんとどん底に穴があいている」という部分です。
実際には螺子輪宝宇宙の上下端には穴のような構造体があり、そこには螺子輪宝宇宙を支配(管理)する存在がいます。
こう書いてしまいますと、人間界のヒエラルキーのような感じになってしまうので、あまり書きたくなかったのですが、スーザンさんの記述がこの段階まで来ますと「大丈夫かも」という気になって明かしています。
「リーマン球面に穴4つ」という命題の答えは、今は無理なのです。
前回もお答えしましたように、もう少し時期をお待ちください。
ただスーザンさんの研究の方向性はとてもいいと思います。
あなたの書き込みで、私の方も理解していなかった部分が明確になることがあり、とても勉強になります。
たぶん私の方がまだまだ理解していない部分が多いので、取り組みたい「時間」の本もそこが課題なような気がしています。
アインシュタインも数学の部分は専門家に頼っていましたので、分業で解明が進めばいいですね。
それでは色々大変な日常性を超えて、大いなる謎への挑戦がんばって下さい。
虚空蔵55