『無門關解釋』 谷口雅春 日本教文社 昭和61年 (背表紙、函汚れ) 特価¥840 『無門関』といふ有名な禅書があります。 無門慧開といふ中国は宋時代の禅僧が編んだ「公案」集です。 そもそも禅でよくいふ「公案」とはなんでせうか。 「公案」とは修行僧がほんたうに悟ってゐるかどうかを試すテストのやうなものです。 もっと云へばクイズのやうなものです(多少語弊があるかもしらん)。 たとへば本書127頁にある「南泉斬猫(なんぜんざんめう)」といふ有名な公案があります。 修行僧たちが一匹の猫を取り合ってもめてゐたところ、南泉といふ高僧が来てその猫を取り上げて云った。 「おまへたち何か一言云ってみよ。云へばこの猫を救ってやらう、云へなければこの猫は殺してしまはう」 しかし修行僧たちは何も云へなかった。 だから南泉はその猫を切り殺してしまった。 夜になって高弟子の趙州が帰ってきたので南泉は訊いてみた。 「おまへさんがゐたら果たしてなんと答へたかね」 趙州は何も云はずに草履を自分のアタマの上に載せて部屋から出て行ってしまった。 南泉は「あゝおまへがゐたら、あの猫も救はれたらうに」と慨嘆した。 なーんて感じで全く意味が分からないのですが、こんなハナシを修行僧にぶつけて、 「この趙州がアタマに草履を載せた意味は何だーッ!!云へ云へ、云はぬかこのーッ!」なんて怒鳴られて棒でボコボコにされたりした訳です、昔は。 そんで答へられなくて自殺したり発狂したりと、当時の修行はまさに命賭けだったやうです。 公案のタチの悪いところは一定の答へがある訳ではないといふこと、また理性的に考へた答へはテッテ的に全否定されるといふこと。 だから皆どうして良いか判らず飛んだり跳ねたり、この公案だったら猫のマネをしてみたりするのでせう。 ま、しかし、それは修行する場合のハナシであって、我々は別に禅堂に掛塔するわけでもないので、公案を文学のやうに或ひは漫画のやうに読むことも許されるのであります。 さうだとすると、やっぱり映画でも文学でも漫画でも難解なものには解説が欲しいときがあります。 自分の感受性だけでなく、ある程度一般化相対化された視点を示して呉れる基準が欲しい、そんなときにはやっぱり解説書に頼るべきでせう。 『無門関』については沢山の解説書があります。 今回紹介するのは谷口雅春の解説本です。 なんであへて谷口本を挙げるのかといへば、現在、我が「まんだらけ大予言」に『無門関』解説書の在庫が谷口本しかないのと、以前『碧巌録』の谷口解釈本を紹介したからであります。 つまり積極的意味はないのであります。 が、しかし、読んで吃驚、今迄接したことのない解釈が多く、はァかういふ見方もあるのだなァと非常に参考になりました。 文章もなかなか素敵です。 「皆な救はれてゐる、勝負は無い。呵々大笑(かかたいせう)である。皆さん、その儘(まま)救はれてをりますぞ。」(本書309頁) 皆様もこの機会に是非、「気楽」に「公案」に接してみては如何でせう。面白いですよ。
(担当 山口ケン)
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