B「観てない」
A「禅が好きなら観た方が良かったのでは?」
B「映画なんか行く時間もない。金もないし、そもそもそんな気力もない」
A「なんだか悲惨な感じですね」
B「それは見解の相違だな、別にヒサンとは思ってない。別に観たくて観られないワケではないんだから。それに映画館に行くと必ず小用で中座してしまふので、どうも集中して観られないといふのもある」
A「どうも文化的でないな」
B「それと映画館に行く場合は期待感が高まるせゐか絶対ガッカリさせられるんだ。逆に云へば何の期待もない場合は面白く観られるかも知れない。しかし期待がなければ映画館まで金払って行かないから、結局何かしらの強制力でも働かないと観ないよね。
さういふ意味では道元の映画も予告見る限り期待出来さうにないから、却って面白いのかも知れないけど、わざわざ観る必要はなかったでせう」
A「う〜ん、たしかにあんまり事前に期待すると肩透かしを喰らはされるといふのはあるが…」
B「以前、付き合ひで知人の舞台を観に行くことがあって、付き合ひだから全く期待してなかったんだけども、果たして非常に良かったんだな。また映画館で観たらすごく損した気分になったものを数年後テレビで観たら非常に感動して、なんでこれを映画館で観たのに感動出来なかったんだらうといふこともあったね。つまりはこの過剰な先入観を排除する方法を見つけないと一生映画を愉しむことが出来ない」
A「それは切実な問題ですね」
B「別に切実ではない。ま、そんなことはいいけど道元のハナシがしたいんぢゃないの?」
A「さうです、道元。道元はやっぱり凄いですか」
B「ご免なさい。ワタクシはどちらかといへば臨済に縁があるので洞門はあまり知らんのです。でも凄いらしいですね。インテリは道元の名前を出されると弱いらしいもんね。インテリは道元と親鸞に弱い、なんでだろ。ただ先日「中観」の本を読んでゐたら梶山雄一といふ学者が『道元は悟りが最初でそれから修行が始まると云ってゐる』と解説してゐて面白かった」
A「悟りが最初?」
B「さう、最初に悟りがあってそれから無限の修行が始まる、といふのが道元の論旨ださうな。つまり修行が無限といふことはすでに最初から修行は終了してゐるといふことになるとかで」
A「ほうほう、それは興味深いハナシですね」
B「インテリ向けといふ意味ではこの『道元とヴィトゲンシュタイン』なんていかにもですよね。なんで西哲とくっつけたがるのか動機がよくわからんが、ま、他にも正法眼蔵や曹洞宗関係の書籍色々ありますのでご興味があれば是非」
了。
(担当 川越)
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